堀村(ほりむら) 現在の堀町・新原一・二丁目・石川一・四丁目

水戸城下の西に位置し、那須街道の南側にある。村の北東部は上市台地の西端にあたり、西南に向かって徐々に低地 となる。北は田野・飯富・台渡里三村。

古くは全隈郷に属し、江戸氏の支配下にあった。「水府地理温故録」の水門町の項に「江戸家に仕へし輩」として 「堀村の館主篠原和泉守」の名がみえ、同書の「藤柄並松の事」の項には「此地は江戸氏滅却之時~江戸家之属臣篠原氏谷田部某等、其外大勢打死せし地なり」とみえる。
正保三年の村替で宍戸藩領から水戸藩領になり、元禄郷帳に 「堀村」とある。
 
吉田神社は創建年不詳。初め正八幡宮であったが、元禄九年徳川光圀の命で日本武尊を祀り、吉田神社と改称した 。旧村社。

 (平凡社 日本歴史大系8 茨城県の地名より抜粋)