photo_20 台渡里廃寺跡は、水戸市渡里町の那珂川右岸の標高32mほどの平坦な台地上に位置しています。昭和14年から昭和19年まで高井悌二郎氏によって、また昭和45年から昭和47年まで水戸市教育委員会によって発掘調査が行われました。昭和20年には県指定史跡となりました。当遺跡は三地区に分けられ、それぞれの地区に建物群跡がみつかっています。これらの建物群は、建てられた時期や性格が少しずつ異なっています。南方地区と観青堂山地区の建物群は、同時期に同一意識の下に建てられています。南方地区には、塔跡や金堂跡があり、観音堂山地区では「徳輪寺」とヘラ書きされた文字瓦や「仲寺」と墨書きされた土器がみつかっています。この二地区は最初に郡領の私寺として建てられ、やがて郡の寺へと変わっていつた台渡里廃寺の寺域と考えられています。長者山地区は、他の二地区より時期がおくれて建てられています。ここは、寺院ではなく他の性格をもつ建物群(郡衙とか河内駅家)だと考えられています。この様に台渡里廃寺の付近には、寺院以外にも公的建物群があったと考えられます。しかし、これらの発掘調査範囲が限られ、発見された遺構も少ないので、寺院の範囲や伽藍配配置などはすべて推定の域を出ていません。 (昭和62年10月31日(土)於水戸市立博物館 配布資料より抜粋)