ruins_01 台渡里官衙遺跡群が所在する本市の渡里地区は、通称「上市台地」と呼ばれる那珂川によつ;て形成された河岸段丘上に位置し、南北方向に流れていた那珂川が渡里地区付近で緩やかに東地区付近で緩やかに東の方向へ蛇行していく場所です。渡里という地名がいつ頃まで遡り得るのか定かではありませんが、渡河点との関わりが想定される地名です。上市台地の東側斜面から斜面下にかけては、愛宕町滝坂の曝井推定地に代表される湧水点が点在し、古くから居住に適した土地であったと考えられます。
 台渡里官衛遺跡は長者山地区・宿屋敷北地区・宿屋敷地区・南前原地区の4地区から構成される遺跡で、現在、長者山地区が国史跡に指定されています。古墳時代終末期の集落は、台渡里官衙遺跡(宿屋敷地区・南前原地区)において、多数確認されています。当地区は国指定史跡台渡里官衙遺跡(長者山地区)の南東に位置する埋蔵文化財包蔵地で、集落遺跡と官衙遺跡が複合しています。平成6年度に都市計画道路3・3・30号線敷設に伴い実施された第8次調査では、7世紀後半の竪穴建物4棟、区画溝4条等が検出されています。また、平成17年度に店舗建設に伴つて実施された第26次調査においては、竪穴建物8棟、立柱建物11棟等が検出されています。これらの調査で検出された堅穴建物の出土土器は、いずれも7世紀後半のもので、7世紀後半に創建された台渡里廃寺跡や7世紀末から造営が開始された台渡里官衛遺跡(長者山地区)の造営にかかわる集落の一部と考えられます。また、平成20年度に実施した個人住宅建築に伴う第41次調査では、上面幅7mから6m、底面幅3.7m、深さ2.5mの逆台形の区画溝とそれに沿う形で9尺等間の柵列、さらにその内側から竪穴建物1棟が確認されています。区画溝の底面や埋土からは7世後半の土器が出土し、溝に埋まつていた土の堆積状況から外側に土塁があつたと考えられ、遺構のあり方か;ら豪族居館である可能性が高いと推定されますが、7世紀後半の豪族居館はこれまで報告例がなく、年代から那賀郡の前身である役所跡である可能性も考えられます。 奈良・平安時代の遺構としては、正倉院に関連するとみられる遺構が多数確認されています。平成17年度に共同住宅建設に伴い実施された第24次調査においては、正倉とみられる礎石建物1棟とそれを区画する溝1条やそれに先行するとみられる奈良時代の撃穴建物6棟が検出されています。堅穴建物の1棟からは「備所」と墨書された8世紀後半の土器が出土し、区画溝跡からは、10世紀後半から11世紀初頭頃の土器と炭化米が出土し、平安時代の後半まで那賀郡衙が機能していた可能性があることが分かっています。 また、茨城大学の運動場地点において実施された第44次調査においても、正倉とみられる礎石建物2棟が確認され、正倉院の広がりが第24次調査地点のさらに西側へ展開していることも分かっています。これらの調査では瓦がほとんど出土していないため、台渡里官衙遺跡(長者山地区)と比べて総瓦葺正倉の棟数は少なかったと考えられます。 平成25年4月11日(木)於台渡里公民館地元住民への説明会資料(水戸市台渡里官衙遺跡群保存管理計画(案)より抜粋)